納豆祭りに見るメディアとの距離感

先日の記事で「納豆ダイエットは性質の悪い冗談としか思えない」と書いたら、ホントに冗談じゃない状況になったようで・・・僕は予言者かも!というのは嘘で、アマノジャクな性格が故、ちょっとヒネくれたことを書いてみただけです。

さて、「あるある大事典」の件。花王もスポンサー降板するようで、近頃、テレビの影響力が無い(=テレビCM崩壊)、という考えはもしや幻想か、というほどの祭りっぷりです。「既存のテレビCM(15秒枠、30秒枠)に影響力がない」のは確かに真実なのかもしれませんが、使いようによってはこれだけの影響力を持つメディアなのだな、と再認識。ま、テレビ含めたメディア論の話はまた別の機会に。。。

今回の件で面白いな、と思ったのはねつ造発覚前に「納豆万歳」「納豆ありがたや」に傾けられていた納豆信仰の感情が裏返しで、全て批判に向かっていること。「あるある大辞典ムカツク」「関西テレビふざけんな」みたいな。受動的に「信じる」からこそ起こる感情の移り変わり。張本人であるテレビが感情転化を煽っているのがこれまた皮肉。そのテレビ放送を見て、さらに調子づく大衆、みたいな、そんなスパイラル。。。

この構図、ちょっと話は飛躍するのですが、「普段はおとなしい人ほどキレやすい」の構図に似てますね。受動的(passive)な人が、なんかのキッカケで攻撃的(aggressive)に転化する、そんな構図。他者との距離感がとるのが下手な人がキレやすい、と言われますが、メディアとの距離感も考えた方が良さそうです。自分の意見も大切にしつつ、相手の意見も大切にしていく、というコミュニケーションの基本(assertive)をお忘れなきよう。

あと、メディアの煽りに乗っかるだけではなく、馬鹿げた情報を信じた自分を反省する態度も大事ですね。今度は、中国の偉人・孔子の言葉から引用。

ある人を見たら、
その人に並ぶことをめざせ。
徳なき人を見たら、
我が身を振り返り、自省せよ。

てな感じで。