余計な要素を取り払う


PCはスペック主導でつくられたコンピュータだった。(中略)これに対して、Macは「パソコンとはこうあるべきだ」という“思想”から出発し、その理想に向かって歩み出した。

Macは「思想のパソコン」、というコトバに妙に納得。PCを例えるならば「仕様のパソコン」といったところでしょうか。

デビュー当時にMacが抱えていた最大の課題は、とにかくマウス操作を広げることにあった。スティーブ・ジョブズは1つのことを広めるために、とにかく余計な要素を取り払うことを重視する。

ボタンの数が増えれば増えるほど、操作がしづらくなるのは当然で、使い易さのために「余計な要素を取り払う」ことは基本だと思います。iPodには5個しかボタンがなく、マウス普及のためにMacのマウスボタンを1個にした、という「思想」はいまだに貫かれています。

ということで(?)自宅のDVDレコーダーのリモコンのボタンを数えてみたのですが、なんと「75個」もボタンが付いてました。携帯電話の側面にも当たり前のようにボタンが増えてきています。最近、仕事の関係で古いケータイ端末(503iあたり)に触れる機会があったのですが、側面にボタンは一つもありませんでした。わずか5年あまりでの激増、です。

携帯電話とかDVDレコーダーを作っている家電メーカー的な発想だと、

  • 機能が増える → ボタンを増やす

ことは当たり前なのかもしれませんが、こういった安易な姿勢が販売不振につながっているのかも。Wiiとか、ニンテンドーDSのインターフェースはそのあたりが優れていて、ヒットにつながっているのかもしれません。

任天堂が携帯電話を作ったら面白そうですね。どんなインターフェースになるんでしょうか?と思っていたら、WiiPhoneの噂もあるらしく。。。↓