あれから12年。圧倒的な力と向き合う日。

1995年1月17日5時46分、僕は大阪に住む高校生でした。

地震発生直後、情報は錯綜し、どこが震源地なのかも分からない。僕の住んでいる街が最も被害を受けているような一報がラジオから流れる。もちろん誤報。夜が空け、余震が続く。当然高校は休み。瓦の剥がれた自宅の屋根にシートをかぶせる。近所の親戚の家を片付ける。時間が過ぎるにつれ、すぐ近くの神戸で凄惨な状況が起きているのを知る。すぐ隣の街で起きている惨状。単なる数字として積み上がる死者。

「今、自分が生きているのは確率の高い偶然でしかないのかも。」と生まれて初めて考えました。

正月に再読した村上春樹神の子どもたちはみな踊る」の短編「蜂蜜パイ」、最後の一節。

これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。

もともとは「地震のあとで」という連載から出版された村上春樹さんの短編集。(地震だけではない)圧倒的な力に挑む人間の決意。希望に満ちた文章で僕は好きです。

「明日死ぬかもしれない。」その事実を無視せずに日々過ごさなければ、とガラにもなく考えさせられる。

1月17日は、僕にとってそんな日です。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

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