三四郎:男性=女性に翻弄される存在?

三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

夏休みに再読。大学生活といえば、宮本輝の「青が散る」と、夏目漱石の「三四郎」だ、と勝手に思う。

三四郎」は登場する女性の小悪魔的な言動/行動に翻弄される初々しい三四郎が、激しく面白い。この後の漱石作品では、より内向的で深いテーマになってくるため、女性のキャラがあまり立たなくなりますが、本作品では、夏目漱石の抱く女性像(神秘的、謎めいている・・・等のイメージ)がふんだんに描かれているのではないか、と。

冒頭の有名なシーン

熊本から上京する際、同じ汽車に乗り合った女性と名古屋で途中下車。なんの因果か、同じ宿、しかも同じ部屋に泊まることになる。だが三四郎はビビッて手を出せずに、けっきょく朝を迎える。その別れ際のシーン。

「いろいろごやっかいになりまして、……ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、
「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。

おぉ、まさに「据え膳食わぬは男の恥」というやつである。その直後、自分自身に反省&言い訳をする姿もなんだか面白い。

元来あの女はなんだろう。あんな女が世の中にいるものだろうか。女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。思いきってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言いあてるものではない。――

現代におけるコンパ後の男だけの反省会に通じるものがある。「あの子ぜったい誘ったらいけたよな」「いや、遊んでる女だよあれは」みたいな、臆病な男同士が、お互いの傷をなめ合う、そんな心理状況に近い。

若者的悩みは100年の時を経ても普遍的なわけで。。